沖縄そばと名護そばの深い歴史

1902年 中国より「支那そば」が沖縄に伝来。
当時、主材料の小麦は非常に手に入りにくく、高級なことから、「支那そば」は宮廷料理として出される程度でした。
庶民まで広まるのは明治時代に入ってからと言われています。
1906年 比嘉牛が「観海楼」から独立し、支那そば店「比嘉店」をオープンさせます。
喋りの旨かったことからベェーラーと言われ「ベェーラーそば」と呼ばれていました。
1945年 終戦後
「国際通り」の周辺に「井筒屋」、「万人屋」、「三角屋」といった戦前の名店が店を再開。
沖縄戦で出ん是円の名物そば屋の建物が破壊された。収容所でそばを作って食す。
1951年 首里に「さくら屋」開業。現金収入を得るため、女性が始める食堂が増加
1972年 復帰の年。「日本そば」と区別するため「沖縄そば」の名称が定着する。
1975年 国際海洋博覧会。沖縄生麺協同組合ができる。名護に「ソーキそば」登場。
1925年 県下最大の二階建て食堂『三角屋』開業。
1957年 名護唯一の製麺所として大城清光が創業開始。
1970年 戦後復興と共に名護の町が北部の中核都市として発展。
一九七〇年代に入り、海洋博景気で創業者「大城清光」の苦悩が実った。
1996年 個人事業から有限会社へ、現在の代表「大城稔」が三台目になる。
1997年 東江サンエーを筆頭に北部に次々と大手ショッピングセンターがオープン。
気軽にご家庭で名護そばが味わえるようになる。
2012年 県内スーパー、各飲食店、ホテルや小中学校の給食や日本全国様々な場所で食べられている。